1: どてらを着た名無し 2016/06/22(水) 12:37:09.87 ID:CAP_USER9
6月23日は、沖縄戦で犠牲になった人たちを弔う「沖縄慰霊の日」だ。沖縄県内では役所や学校が休みになり、正午には黙とうをささげる。
慰霊の日が大きな意味を持つ沖縄で生まれ育った県民が、進学や就職で本土へ来て驚くのが慰霊の日の扱いの小ささだ。ほとんどの人が
いつもと変わらない日を過ごす東京で、沖縄県民はどう23日を過ごしているのだろうか。【中嶋真希】
毎年6月は沖縄戦を学ぶ
東京都世田谷区内の会議室で19日、東京に住む沖縄出身者でつくる東京沖縄県人会青年部主催の「慰霊の日を考える集い」があった。
日ごろは、エイサーや三線の練習で集まる青年部だが、毎年6月は沖縄戦について学び、犠牲者を追悼する会を開いている。太平洋戦争
末期に米軍が上陸し、日本軍が持久戦に持ち込んだ沖縄戦は、約9万4000人の一般住民が犠牲になった。慰霊の日は、軍司令官の
自決を経て旧日本軍の組織的な戦闘が終わった日だ。
集いを始める前に、浦添市出身で青年部委員長の宮里年男さん(37)が「黙とうをささげましょう」と声をかけると、参加者は目を閉じた。
「重い内容の会だから参加者は少ない」と宮里さんは言うが、30代を中心に十数人が集まり、会議室の席は埋まった。
この日の集いでは、沖縄戦で初めて米軍が上陸した慶良間諸島の住民の証言を集めた映像を見たり、波照間島出身の仲本学さん(72)が
幼いころに体験した戦争マラリアの講話を聞いたりした。波照間島の住民が、マラリアが発生していた西表島に強制的に疎開させられ、
島民の約3分の1がマラリアで死亡。沖縄でもこの話を聞く機会は少ないため、参加者から「貴重な体験談だ」と声が上がった。
職場で黙とうする人はいない
慰霊の日当日は、沖縄戦最後の激戦地、糸満市にある平和祈念公園で、沖縄全戦没者追悼式が開かれる。追悼式はテレビで中継され、
正午になると黙とうの時間を知らせるサイレンが各地で鳴る。7月10日投開票の参院選は、通例なら公示日は23日になるが、沖縄に
配慮して22日に前倒しされた。
上京して5年目で、県人会の集いに初めて参加したという那覇市出身の会社員、真喜屋さおりさん(31)は、「職場で慰霊の日に黙とう
するのは難しい。東京ではニュースであまり取り上げられず、知っている人も少ない」と話す。東京で広島県出身の人と話した時、「お互い、
大変な思いをした場所だね」と言われてはっとした。傷を負った県民同士でないと、わからないのかもしれないと感じたという。
*以下省略
http://mainichi.jp/articles/20160621/mog/00m/040/004000c
慰霊の日が大きな意味を持つ沖縄で生まれ育った県民が、進学や就職で本土へ来て驚くのが慰霊の日の扱いの小ささだ。ほとんどの人が
いつもと変わらない日を過ごす東京で、沖縄県民はどう23日を過ごしているのだろうか。【中嶋真希】
毎年6月は沖縄戦を学ぶ
東京都世田谷区内の会議室で19日、東京に住む沖縄出身者でつくる東京沖縄県人会青年部主催の「慰霊の日を考える集い」があった。
日ごろは、エイサーや三線の練習で集まる青年部だが、毎年6月は沖縄戦について学び、犠牲者を追悼する会を開いている。太平洋戦争
末期に米軍が上陸し、日本軍が持久戦に持ち込んだ沖縄戦は、約9万4000人の一般住民が犠牲になった。慰霊の日は、軍司令官の
自決を経て旧日本軍の組織的な戦闘が終わった日だ。
集いを始める前に、浦添市出身で青年部委員長の宮里年男さん(37)が「黙とうをささげましょう」と声をかけると、参加者は目を閉じた。
「重い内容の会だから参加者は少ない」と宮里さんは言うが、30代を中心に十数人が集まり、会議室の席は埋まった。
この日の集いでは、沖縄戦で初めて米軍が上陸した慶良間諸島の住民の証言を集めた映像を見たり、波照間島出身の仲本学さん(72)が
幼いころに体験した戦争マラリアの講話を聞いたりした。波照間島の住民が、マラリアが発生していた西表島に強制的に疎開させられ、
島民の約3分の1がマラリアで死亡。沖縄でもこの話を聞く機会は少ないため、参加者から「貴重な体験談だ」と声が上がった。
職場で黙とうする人はいない
慰霊の日当日は、沖縄戦最後の激戦地、糸満市にある平和祈念公園で、沖縄全戦没者追悼式が開かれる。追悼式はテレビで中継され、
正午になると黙とうの時間を知らせるサイレンが各地で鳴る。7月10日投開票の参院選は、通例なら公示日は23日になるが、沖縄に
配慮して22日に前倒しされた。
上京して5年目で、県人会の集いに初めて参加したという那覇市出身の会社員、真喜屋さおりさん(31)は、「職場で慰霊の日に黙とう
するのは難しい。東京ではニュースであまり取り上げられず、知っている人も少ない」と話す。東京で広島県出身の人と話した時、「お互い、
大変な思いをした場所だね」と言われてはっとした。傷を負った県民同士でないと、わからないのかもしれないと感じたという。
*以下省略
http://mainichi.jp/articles/20160621/mog/00m/040/004000c
【上京した沖縄県民が過ごす「沖縄慰霊の日」】の続きを読む